
2024年6月、人気バンドMrs. GREEN APPLEの新曲「コロンブス」のミュージックビデオ(MV)が大きな波紋を呼びました。
Mrs. GREEN APPLE 「コロンブス」ミュージックビデオについて -Mrs. GREEN APPLE OFFICIAL SITE|OFFICIAL FAN CLUB 「Ringo Jam」
MVの描写に批判が集まった流れで、曲のタイトルである「コロンブス」についても、「最近は侵略者としてマイナスに語られている」という意見も寄せられていました。
一方、こうしたコロンブスの「負の側面」について、「全然知らなかった」「習ってない」「教科書で見た記憶がない」といった感想も見られました。
ただ、編集者として言いたい・・・。
徐々に扱いは増えている!!
・・・しかしながら、大々的に扱われているわけではないのも承知しています。
特に、この負の側面をきちんと意識していこうという流れは、ここ10年間くらいで一般化していったようにも思います。
ということで、今回は3つの疑問を取り上げ、日本とのつながりも交えながら、コロンブスが後の時代に与えた影響を見ていこうと思います。
キーワードは「奴隷貿易」です。
Q1:そもそもコロンブスは何をしたの?
コロンブス(1451〜1506)の生きた15世紀のヨーロッパでは、航路を開拓してアジアへと交易圏を広げる動きが盛り上がっていました。
「大航海時代」「大交易時代」と呼ばれる時代ですね。
※「航海」は完全にヨーロッパ側視点の表現なので、どの地域でも共通して行われていた「交易」の語で表すことも増えています。
そうした中、1492年8月3日にコロンブスは3隻の船でスペインを出航します。
そして2カ月後の10月12日、大西洋を越えてサンサルバドル島に到達しました。

※コロンブスがアメリカ大陸を「発見」したと言われることもありますが、この地域には既に先住民が暮らしていました。コロンブスはそこへ新たに「到達」した存在です。
航海の際に、コロンブスは様々なものをヨーロッパから持ち込みました。

ヨーロッパとアメリカ大陸の間で、動植物やその他ありとあらゆるモノの交流が行われるようになったのです。これを「コロンブスの交換」といいます。
一方、コロンブスはサンサルバドル島に上陸した日にこのように語っています。
わたしには彼らはどう見てもとても貧しいように思われた。……彼らは利発で良き僕(しもべ)になるにちがいない。なぜなら、わたしが見るに、彼らはわたしが話すことすべて、すぐあとについて口にするからである。……この地の者を六名、言葉を学ばせるため、両陛下のもとに連れ帰る考えである。
青木康征『完訳 コロンブス航海誌』平凡社、1993年
コロンブスの目には、先住民は貧しいが利発で、良き「僕(しもべ)」=奴隷になると映ったようです。
実際にコロンブスは先住民を拘束し、スペインに連行しました。この後の航海でも同様に先住民を連れ帰っています。
こうして、先住民を連行する形でカリブ海地域の奴隷貿易が始まったのです。
スペインやポルトガルがアメリカ大陸各地を征服していくと、プランテーションや鉱山開発の労働力として、先住民が奴隷として使われるようになっていきます。
そしてこの奴隷貿易の動きは、アメリカ大陸以外にも広がっていきます。
Q2:奴隷貿易は日本と無関係だよね?
そうは言っても、さすがに日本には関係ないことだと思うかもしれません。本当にそうでしょうか?宣教師ガスパル・コエリョの報告書を読んでみましょう。
(ポルトガル)商人たちは大きな不正を日本人の奴隷の売人と共におこなっている。哀れな奴隷たちが船に積まれて海を渡っていくこの悲しい光景を目のあたりにし、大きな憐れみと悲しみを感じずにはいられない。
ルシオ・デ・ソウザ、岡美穂子『大航海時代の日本人奴隷 増補新版』中公選書、2021年
え、、、日本から奴隷が運ばれている? 一体どういうことなのでしょうか。
時は戦国時代。全国で大名が争い、やがて織田信長・豊臣秀吉といった統一権力が生まれていく時代でした。
そんな状況の中、ヨーロッパから宣教師や商人がやってきて、貿易と布教をセットに各地の大名と関係を深め、日本にキリスト教が広がっていきました。

しかし、ヨーロッパの人々は貿易と布教だけでなく、ビジネスとしての利益も見込んで日本に来ていました。
一つのビジネスとして、先ほど紹介したような奴隷貿易が日本でも行われたのです。宣教師コエリョは嘆いていましたが、実際にはイエズス会も関与していたと考えられています。
当時の日本では戦いの後に人や物を略奪する「乱取り」が行われていました。捕らえられた人を商人が売買し、ポルトガル人がそれを購入し奴隷として輸出したとされています。
15〜16世紀には、スペインだけでなくポルトガルもアフリカやインド・東南アジアで奴隷貿易を展開しており、日本もそこへ組み込まれていったのです。
この状況を警戒したのが豊臣秀吉でした。有名なバテレン追放令の前日にこのような布告が出されています。

この布告はキリシタンに関する規定に続けて言及されています。秀吉は日本人が奴隷として海外へ売られている現実を、キリスト教勢力の問題として認識していたと解釈できます。
Q3:その後、奴隷貿易はどうなったの?
奴隷貿易が日本を含む世界各地で行われたことが確認できました。その後の展開も見ていきましょう。舞台を再びアメリカ大陸に戻します。
ヨーロッパ勢力は先住民を強制的に働かせました。「コロンブスの交換」で伝染病が持ち込まれたこともあり、先住民の人口は激減しました。
困ったスペインやポルトガルの人々は「アフリカから奴隷を連れてこよう!」という、今となっては恐ろしい発想を実行します。
18世紀に入るとイギリスが覇権を握るようになりましたが、アフリカ人奴隷の酷使は続きました。
そんなイギリスが圧倒的な経済力をもつ基盤になったのが、大西洋三角貿易です。

この三角貿易がイギリスに莫大な利益をもたらしました。イギリスに負けじと他のヨーロッパ諸国も貿易に乗り出していきます。

18世紀はヨーロッパ諸国が奴隷貿易に次々と加わる時代だったと言えますね。
アフリカの視点に立つと、これはどのような出来事だと言えるでしょうか?
下の表を見てみましょう。

じつに1,200万人もの人々が連れ去られたことが分かります。奴隷貿易はすさまじい数の人口流出をもたらした出来事でした。
人々は「商品」として売買され、船に乱暴に積み込まれて運ばれました。アフリカの人的・経済的・文化的なダメージは計り知れないものでした。
※奴隷として連行されたアフリカの人々がいた一方で、捕らえた人を奴隷化してヨーロッパ商人に売り渡し、引き換えに商品を買って利益を得たアフリカの人々がいたことも事実です。
18世紀半ばを過ぎると奴隷貿易への批判が高まりはじめ、ついに奴隷たちが立ち上がります。
フランス革命をきっかけに奴隷制への批判が強まる中、フランス領サン・ドマングで奴隷が蜂起し、1804年にハイチとして独立しました。

以降アメリカ大陸では次々と独立国家が生まれ、あわせて奴隷貿易廃止の動きも進みます。イギリスでは1807年に、スペインでは1820年に奴隷貿易が廃止されました。
奴隷制そのものの廃止を求める声も高まり、1863年にはアメリカで奴隷解放宣言が公布されました。
※ちなみにイギリスは1833年に、ポルトガルは1836年に奴隷制を廃止済みであり、アメリカの動きは世界的には遅めの部類に入ります。
コロンブスの時代から約300年。
こうして、世界中で行われた奴隷貿易・奴隷制は廃止されたのです。
コロンブスが後の時代に遺したもの
コロンブスが始めた奴隷貿易は、彼がたどり着いたカリブ海地域だけでなく、日本やアフリカなど、世界中の人を巻き込みながら展開していきました。
奴隷貿易が各地に与えた影響をまとめてみましょう。

コロンブスの行動は大きな利益をもたらして発展のきっかけを作った一方で、「経済的な従属」や「大きな損害」ももたらしました。
これは現在の世界的な貧富の格差にもつながっていると言えるでしょう。
だからといって、「だからコロンブスは100%最低な大悪人だ!」と決めつけてしまうのは早計です。
「コロンブスの交換」によって、国際的な人・モノの交流はそれまでの時代とは比べものにならない規模で活性化しました。
「未だ知り得ない 素晴らしい絶景」を目指して航海を始めたことで、世界がつながるきっかけを作ったとも言えます。
功績を認めつつ、その負の側面にも目を向け、歴史の中に「コロンブス」という人間を位置付けていくことが重要です。
これはコロンブスに限らず、歴史に関わる物事ならすべて同様のことが言えます。
過去に起きた出来事を一面から語ることはできません。様々な側面に目を向けることが必要です。その上で「自分はどのように評価するか」を考えていくことが大切ですね。
あなたは、コロンブスをどのように評価しますか?
主要参考文献
・ジャレド・ダイアモンド著、倉骨彰訳『銃・病原菌・鉄(上)(下)』草思社文庫、2012年(原著2000年)
・エリック・ウィリアムズ著、川北稔訳『コロンブスからカストロまで(Ⅰ)(Ⅱ)』岩波現代文庫、2014年(原著1978年)
・平川新『大航海時代と戦国日本』中公新書、2018年
・布留川正博『奴隷船の世界史』岩波新書、2019年
おまけ情報1
今を生きる私たちによる、奴隷貿易への向き合い方を探究した授業実践を紹介しています。
おまけ情報2
この記事にも登場した、世界史と日本史の資料集が買えるようになりました。
おまけ情報3
祝10周年!曲の良さまで否定されることはない…!