
2026年は国際大会イヤーです!
2月のミラノ・コルティナオリンピックに始まり、3月にはWBCが開催されました。そしていよいよワールドカップも開幕します!
普段はスポーツに関心がなくても、国際大会では日本の選手やチームを熱心に応援する人も多いはずです。
しかし、よく考えてみると、これって不思議ではありませんか?
日頃見ている選手の晴れ舞台を応援するのは自然なことですが、国際大会が始まると、私たちは普段見ていない競技でも画面にかじりつき、日本代表を応援しているのです。
日本代表の応援を通して、私たちは同じ「日本人」であることを周囲と共有しているようです。この感覚は自然なものですが、当たり前のものなのか、疑問が残ります。
私たちはなぜ当たり前のように「日本代表」を応援しているのでしょうか?
そもそも「日本」の代表とは、どういうことなのでしょうか?
この問いに答えるためには、歴史の視点が必要になってきます。国際大会が身近な今、「日本代表」と「日本人」について歴史的に考えてみましょう!
- 歴史的に考えるための準備
- 時系列の視点:「日本人」という意識はいつ生まれたのか
- 推移の視点:なぜ私たちは日本代表を自然と応援するようになったのか
- 比較の視点:他国の代表チームも「その国の代表」なのか
- つながりの視点:「日本代表=日本人の代表」なのか
- おわりに~現在の視点:「これが日本人」と言い切ることはできるのか
歴史的に考えるための準備
「歴史的に考える」とは言うものの、一体何をどうすればよいのでしょうか?
歴史の知識をたくさん頭に入れる!のは苦痛という人も多いですよね…
ひとまず、「過去の出来事との関係を意識しながら考えること」としておきましょう。
この時に意識したいのが、次の5つの視点です。

教科書や資料集に載っているこうした見方・考え方は、歴史の視点で物事を理解する際に非常に重要になってきます。
ここからは、歴史的な見方・考え方を駆使しながら、「日本代表」「日本人」のことをとらえていきましょう!
時系列の視点:「日本人」という意識はいつ生まれたのか
国際大会を見る時、私たちは「同じ日本人だ」という仲間意識を共有して盛り上がっているようです。
この意識はナショナリズムと呼ばれています。
当たり前のことすぎてピンときにくいですが、こうした意識は歴史の中で生み出されたものです。
それなら、ナショナリズムはいつ生まれたの?という新たな疑問が浮かびます。この疑問に、「時系列」の視点から答えてみましょう。
最大の起点はフランス革命です。18世紀のフランスでは特権身分への不満が高まり、革命がおきました。

革命を通じて、国民こそが政治の担い手であり、そうした国民によって国家が構成されると考えられるようになりました。「国民国家」という概念の誕生です。
その後、ナポレオンがヨーロッパ各地に勢力を広げました。

ナポレオンの征服を経験した19世紀のヨーロッパでは、「同じ言語・宗教・文化などを共有する人々(=国民や民族)が政治的にまとまるべきだ!」という意識が広まります。
日本でも、19世紀後半(明治時代)になると国民の統合が進み、「日本人」という存在が明確に意識されるようになります。
こうして、国民を統合させて強力な国民国家を作ろうとするナショナリズムが生まれました。
推移の視点:なぜ私たちは日本代表を自然と応援するようになったのか
続いて、ナショナリズムが人々の間に定着した背景を確認します。何がきっかけで変化したのかという、「推移」の視点から見ていきましょう。
重要な役割を果たしたのが学校教育です。学校では人々が標準語でもある「国語」や共通の文化・歴史を学びました。

学校教育で身についたことは他の場面でも応用され、国民意識を強化させます。
規律や時間を守る意識は、軍隊で生かされます。徴兵制で集まった人々は規則に従う中で、集団の一員としての帰属意識を高めました。
識字率が上がると、新聞や本の読者が増えます。出版物が普及し、人々は同じ言語で同じ情報を得ていることを実感しました。
こうして人々はいつの間にか「国民」になっていきました。政治学者のアンダーソンは、こう表現しています。

見ず知らずの人との間で「同じ国民」と感じる意識を持つことは、「共同体を想像する」ことだと言えますね。
この意識を日常生活と結び付けたのがスポーツでした。
19〜20世紀になるとスポーツの国際大会が開かれ、国家間の競争という雰囲気が生まれます。

国際大会を通じて、人々は「同じ国民」という感覚を強めました。
そして、選手やチームが国の象徴へと変化していきます。「○○代表」と国の名前を背負うことで「国民の代表者」になりました。
ネイションあるいは国家を代表するスポーツ選手たちは何よりもまず彼らの想像の共同体を表現するものとなった。……何百万人もの人々にとっての想像の共同体は、実在の一一人のチームによって、いっそうリアルに感じられるのである。
エリック・ホブズボーム著『ナショナリズムの歴史と現在』大月書店
歴史学者のホブズボームが言うように、代表チームは「想像の共同体」をリアルに感じさせる役割を担いました。
それゆえに、ナショナリズムが刻み込まれた私たちは、日本代表を自然に応援していると言えます。
比較の視点:他国の代表チームも「その国の代表」なのか
私たちは日本代表を「自分たちの代表」と感じていますが、これは世界共通でしょうか?他国と「比較」してみましょう。
取り上げるのは、今年のW杯で日本代表が最初に対戦するオランダです!

別の競技とも比較しましょう。今年のWBCオランダ代表のメンバーがこちら。

出身地が全然違いますね。大量に並ぶキュラソーとは?そもそもオランダ?

このキュラソー、実はオランダ王国の構成国です。
一体どういうことなのか?話は17世紀にさかのぼります。
当時のオランダは、国際貿易を支配し世界中にネットワークを築いていました。

政府公認の東インド会社がアジアで、西インド会社が大西洋方面で貿易を行いました。西インド会社の拠点の一つがキュラソーでした。
こうした過去が、今もこの地がオランダ王国の一部であることにつながっています。
W杯オランダ代表はイメージ通りの「オランダ代表」ですが、キュラソー出身者中心のWBCオランダ代表もまた、正真正銘のオランダ代表ですね。
一方、キュラソーは議会や通貨を持つ独自の地域ともいえます。それを象徴するかのように、今年のW杯には単独チームとして出場します。
キュラソーの人にとって、オランダ代表もキュラソー代表も「自分たちの代表」であり、どちらか選べるものではなさそうです。
オランダに注目してみると、「オランダ代表=オランダ人の代表」とは言い切れない側面があることが分かります。
つながりの視点:「日本代表=日本人の代表」なのか
「つながり」の視点を活用し、オランダの話を日本に接続させて考えてみましょう。
日本代表は「日本人の代表」でしょうか?
「当たり前だ!」と思いますが、ここまでの内容を踏まえると「当たり前ではないかも?」とも感じますよね。
この問いに答えるには、「日本人ではない日本代表」が存在する事例を探す必要がありそうです。
皆さんは誰が思い浮かびますか?例えばこの人。

2023年WBCで日本代表の1番打者を務めたラーズ・ヌートバー選手です。sp.baseball.findfriends.jp
彼は日本からアメリカに移住した日本人の母をもつ、いわゆる日系アメリカ人です。
彼の父も19世紀後半にアメリカへ渡ったオランダ系移民の子孫です。移民国家アメリカらしい家系ですね。

多様なルーツを持つ人が混ざり合うアメリカにおいて、ヌートバー選手はたしかに日本人の血を引いており、日本代表に選ばれました。
しかし、彼はアメリカ国籍で日本語も話せません。それでも日本代表の一員になり、中心選手として活躍しました。
単純に「日本代表=日本人の代表」という表現では拾いきれない存在もいると解釈できそうです。
19世紀以降、日本からも多くの移民が海を渡りました。日本とつながりのある人は、世界中に広がっているといえます。

「日本人ではない日本代表」としてラグビー日本代表が浮かんだ方もいるかもしれません。
チーム・選手|15人制男子日本代表|日本ラグビーフットボール協会
世界中に植民地を広げたイギリス発祥のラグビーは、国籍を重視していません。日本に5年以上住んでいれば、代表資格を得られます。
やはり「日本代表=日本人の代表」とは異なる世界が見えてきますね。
ナショナリズムを通じて「日本人」という意識が創られたという話は、日本代表の多様なあり方を見ることで、多面的に理解することが可能になります。
おわりに~現在の視点:「これが日本人」と言い切ることはできるのか
「日本代表を自然と応援する私たち」の姿を歴史的にとらえ直してきました。
ナショナリズムのもとで自分が日本人だと意識する思考が定着し、「私たち日本人」の象徴として、代表チームに熱いまなざしを向けているようです。
こうした理解を踏まえて、最後に「現在」の問題を考えてみましょう。
「日本人ファースト」という言葉が定着したように、現代社会では「日本人」がこれまで以上に強く意識されています。
私たちは、日本人という存在が絶対的・固定的なものだと思い込みがちです。しかし、「日本人とは誰なのか」を定義することは、想像よりもはるかに困難です。
日本人を意識する身近な存在である日本代表のあり方にも、多様な形がありました。それならば、日本人という存在も様々な形が想定できるはずです。
「日本人」「○○人」という概念は歴史の中で創り出されてきたものであり、絶対不変ではなく、含まれる対象が状況によって変わるものだと理解することができそうです。
ここまで、「日本人」という存在を歴史的に考えてきました。ただ過去の出来事を紹介するだけでなく、歴史を活用して物事をとらえるための視点を交えて考察しました。
歴史的に考えるということは、当たり前にすぐ流されず、一歩立ち止まって慎重に考えることではないでしょうか。今の時代に求められているリテラシーとも言えます。
「これが真実!」と言い切る情報があふれる日々だからこそ、過去を振り返りながら、様々な角度から自分・他者・物事を見つめられる人間になりたいものです。
歴史に学び、歴史を活用しながら、考え続けていきましょう。
主要参考文献
・ベネディクト・アンダーソン著、白石隆・白石さや訳『定本 想像の共同体』書籍工房早山、2007年(原著1983年)
・エリック・ホブズボーム著、浜林正夫・嶋田耕也・庄司信訳『ナショナリズムの歴史と現在』大月書店、2001年(原著1990年)
・塩川伸明『民族とネイション』岩波新書、2008年
・中井遼『ナショナリズムとは何か』中公新書、2025年
さらに考えてみたい事例
①アメリカの恩恵を受けたなら、アメリカ代表になるべきか?
2026年のミラノ・コルティナオリンピックで活躍した二人の中国系アメリカ人は、アメリカ国内で対照的な反応を受けました。アリサ・リュウ選手が賞賛された一方、アイリーン・グー選手が批判されたのは、彼女が「中国代表」だからでしょうか。
②日本代表でもある海外出身のラグビー選手は、あくまで「外国人」なのか?
ラグビーの国内リーグ・リーグワンは、2026-2027シーズンから「日本で義務教育期間のうち6年以上を過ごした選手」のための出場枠を設けることを決定しました。日本で長くプレーする海外出身選手には、どのように向き合うのが適切でしょうか。
考える時に、ぜひ資料集も活用してみて下さい。
グローバルワイド 最新 世界史図表 | 第一学習社 - 学参ドットコム