はじめに
この連載では,広い学びへ興味をもつきっかけになればといいという目的で,第一学習社の編集者が見かけた興味深い論文や研究を不定期に紹介していきます。
論文というのは,学びの最先端がまとめられたとても面白いものです。しかし,大学の研究以外では,日常的に触れることは多くありません。また,内容も難解なものが多いです。しかしそのハードルを越えれば,自分の目で見る世界の解像度が,少し明瞭になっているはずです。
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今回,紹介するのは音声学の分野からこちらの論文です。身近なテーマ,ポケモンに関する論文です。
音声学はその名の通り,「音と声にまつわる全て」を研究する学問となります。そのため言語や音楽と関連して研究されることも多く見られるようです。身近な例だと英語学習でよく見る発音記号や,フォニックスなどは音声学に強く関連した事項です。
まずは抄録を見てみましょう。
本研究では,ポケモンの名付けにおける新たな音象徴的イメージを検証した2つの実験を報告する。実験1では,進化後のポケモンの名前として,開口度の大きい母音[a]が,開口度の小さい母音[i, u]よりもふさわしいことが明らかになった。また,有声阻害音の数の効果を検証した結果,進化後のポケモンの名前として,有声阻害音が2つ含まれる名前は,それが1つしか含まれていない名前よりふさわしいこともわかった。実験2では,母音と有声阻害音の優先性や相乗効果の検証も行った。その結果,ブーバ・キキ効果と同様に,母音の効果より,子音の効果のほうが強く現れること,そして,母音と有声阻害音の組み合わせは,どちらか一方を含む場合よりも,進化後のポケモンの名前として判断されやすいことが明らかになった。さらに,本研究では,実験2で得られた母音と有声阻害音の音象徴的効果について,制約理論である最大エントロピーモデル(Maximum Entropy (MaxEnt) Grammar)の枠組みでの分析も提供し,音象徴を生成言語理論の視点から捉える。
なにやら難しそうな単語がならんでいますね。「音象徴」,「有声阻害音」,「ブーバ・キキ効果」,「最大エントロピーモデル」あたりが分からないと理解ができそうにありません。とりあえずこれらを調べてみることにします。
用語解説
音象徴,有声阻害音
日常で使われる言葉ではありませんね。音声学で用いられる用語のようです。本記事紹介のポケモン論文を読むには,この用語の概念がとても重要です。色々探しましたが,本記事紹介論文の著者である川原先生の「メイド文化と言語学(リンク先PDF)」が丁度いいボリュームだと感じました。
特に第2章「音声学の基礎」,第3章「音象徴とメイドの名前」がまとまっていて良いと思います。一読してからポケモン論文に挑むと良いと思います。
音象徴について平易な言葉で解説されているものであれば,科学未来館さまのブログ「声に出したくなる⁉音象徴の世界 」も川原先生の研究を参考にされて執筆されており,綺麗にまとまっています。
ブーバ・キキ効果
心理学の用語です。たまにTVなどでも聞くことがあるのでご存知の方もいるかもしれません。簡単にいってしまえば「下の図を見てどっちが『ブーバ』で『キキ』ですか?」
と聞くと,「曲線図形がブーバで、ギザギザ図形がキキだ」と回答するというものです。不思議なのは,それが老若男女・母語の違いに関係なくそう答えるという現象をブーバ・キキ効果と呼んでいます。
最大エントロピーモデル
最大エントロピーモデルは統計における分析手法(モデル)の一つです。
最大エントロピーがどのような分析であるかは,長くなるので本記事では解説できません。こちらについては元理論となるベイズ統計の学習から学んでもよいのですが,せっかくなので,言語理論における最大エントロピーモデルを解説した川原先生ご本人による講座がありますので,こちらを見ると良いと思われます。
この手法を用いることで,音象徴という一見すると定量化しづらいデータに対し,数値を与えて解析出来るようにしたということが分かれば,本論文の大筋は把握しながら読むことができると思われます。
読んでみよう。
さぁ,上記の知識がインプットされた状態で,実際に論文を読んでみましょう。
まとめ
どうでしょうか?全く無知識で読むときより,理解の解像度が上がっているのではないでしょうか?筆者は下記のようなポイントが面白いと感じました。
「ブーバ・キキ効果が観測されない言語も報告されている」(4枚目:注釈)
ブーバ・キキ効果はもともと知っていたのですが,それが存在する全ての言語で観測されるものではない,ということは知りませんでした。100%ではない,というのは科学的に大事な視点です。
「架空のオリジナルポケモンの進化前後のイラストを見て,ブーバ・キキのように名前を選んでもらうと,進化後は開口度の大きい母音が含まれたり,有声阻害音が増えてくるものが選ばれやすい」(18枚目:2.6. 実験1まとめと問題点)
抄録にも書いてあった内容ですが,実験の過程を経て読むと腑に落ちます。確かに,強そうな進化ポケモンは濁音や音節がふえていきますね。
(初代世代の筆者は脳内でヒトカゲ→リザード→リザードンを思い浮かべました。1回目の進化で開口度が大きい母音[a]の有声阻害音が真ん中に入り,長音でモーラ数が増える名前に。2回目の進化で最後にドン!とさらに名前が長くなりました。実に腑に落ちます。)
「今回の実験では,ポケモンの名付けにおいて含まれる開口度が中間の母音[e][o]は音象徴的な効果が発揮されなかった」(30枚目:5. 結論と今後の展望)
開口度の大きい母音[a],開口度の小さい母音[i][u]が名前に含まれた時,開口度の違いからの音象徴的な分析について。大きければ進化後,小さければ進化前という結果だけでなく,開口度が中間である[e][o]ではそうならなかったという点。開口度の違いにより,うまい具合に大中小と音象徴が変わってくる点が非常に面白いと感じました。
参考リンク
本記事で紹介した論文の著者・川原繁人先生のサイト。音声学の紹介や,現代のポップカルチャーを専門分野からの切り口で解説している資料やコンテンツがたくさんあります。(英語学習と組み合わせられないか,IPAカードがちょっと気になってます。)
全ポケモンの進化表です。進化順に並んでいるので実験が本当かどうかこれを見ながら口を開けて試していました。
最後に。論文内で使われたオリジナルポケモンのイラストレーターさまの作品へのリンク(PDFの中では左上のくさタイプっぽいモンスターが使われていますね)