生態系と聞いて何を思い浮かべるだろうか。生態系ピラミッド?,食物連鎖?それとも植生などが浮かぶ人は多いと思う。
ぼくが思い浮かべるのは南方熊楠という男だ。
はじめに
熊楠は粘菌の研究者として紹介されることが多い。しかし,実際には色々とやっている。Wikipediaには(※1 良い子は安易にWikipediaを参照するのは避けよう)
熊楠の学問体系は博物学,民俗学,人類学,植物学,生態学などさまざまな分野に及んでおり
とある。たとえば,熊楠の論文に,中国とインドにおける星座について論じた「極東の星座」というものがある。Natureに掲載されたそうだ。
現代に中国・インドの星座を論じられる生物学者がどれほどいるだろうか(もちろん、論じる必要はこれっぽっちもないのだが)。
※1:簡単に言うと,Wikipediaは「誰でも編集が出来る」ために,時として不正確な情報が記載されることがあるからである。趣味の調べ物程度なら問題無くとも,正確性が求められるレポートなどの引用にしてはならない。
熊楠と生態学
さて、そんな熊楠は、日本において生態学という概念を用いた先駆的存在だったといわれる。熊楠が生態学の概念を持ち出したのは、神社とそれを取り巻く鎮守の森の保護活動に際してのことだった。
熊楠の生態学的な視点を示すちょうどいい文章を見つけたので引いてみよう。ちなみに熊楠の文章の多くは青空文庫で読める。
しかるに何の考えもなく神林を切り尽し、または移殖私占させおわりたるゆえ、この国ばかりに日が照らぬと[渡り鳥が:引用者注]憤りて去りて他邦へ行き、和歌山辺へ来たらず。ために白蟻大いに繁昌し、ついに紀三井寺から和歌山城の天主閣まで食い込み、役人らなすところを知らず天手古舞を演じ、硫黄で燻べんとか、テレビン油を撒かんとか、愚案の競争の末、ついにこのたび徳川侯へ払い下げとなったが、死骸を貰うた同前で行く先も知れておる。
後半の余計な毒舌はいかにも熊楠らしい。
それはさておきこの文章、要するに、「鎮守の森(=神森)を刈り尽くしたら渡り鳥が寄りつかんようになって白アリが大発生、文化遺産がアカンようなってもうたわ」と書いている。「生物」教科書における間接効果や生態系サービスと関係するだろうか。
間接効果
捕食・共生・競争などの2種の生物館で生じる直接的な相互作用の程度は,その2種以外の生物の影響によって変化する場合がある。この影響は間接効果と呼ばれる。
出典:『改訂 高等学校 生物』(第一学習社),p.341
生態系サービス
私たちは生態系から直接・間接的にさまざまな恩恵を受けており,それらは生態系サービスと呼ばれる。生態系サービスは,物質の循環,酸素の供給,土壌の形成,生物の生活場所の提供,食料・木材の提供,洪水や土壌流出の緩和,水質の浄化,レクリエーションの場の提供など,広範囲に及ぶ。
出典:『改訂 高等学校 生物』(第一学習社),p.366
こうした事項について学ぶ際の,一つの具体例になれば。
まとめ:生物教育に留まらない熊楠
本稿は,第一には生態系について学ぶ際の話題として使うことを想定している。が、他にも色々な使い道があると思う。
「神社合祀に関する意見」は、簡単にいうと環境保護活動の一環として書かれたものだ。ならば、社会の授業にも使えるのではないだろうか。
熊楠がこのような「意見」を表明した背景はどのようなものであったのか。この「意見」で熊楠は何を主張しようとしているのか、その主張の論拠は何か、などを調べたり,熊楠の文章から読み取る,といった使い方ができないだろうか。
さらに、この「意見」は、地域社会において神社が果たす役割に着目して書かれている(「第三,合祀は地方を衰微せしむ。」に続く箇所)。そういえば新学習指導要領でも「地域と学校との関わり」に触れられている。地域について考える材料として、「意見」を読むこともできるのではないだろうか。
このように,該博な知識に基づいて書かれた熊楠の文章には,生物教育に留まらない多様なアプローチがありうる。教科を超えて学びを関連づけられれば,より一層深い学びにつながるのではないか。