
いよいよ夏休みですね!皆さん今年は何をしますか??
「万博へ行ってみようかな」と考えている方も多いかもしれません。
しかし、「万博って何をしているのか正直よく分からない…」と感じる方もいるのではないでしょうか?
今回は万博がどのようなことをする場所なのか、そしてどのようなことをしてきた場所なのかを深掘りしたいと思います。
写真を交えながら、万博の歴史と、そこから見えてくる近現代の日本と世界の動きについて学んでいきましょう!
- そもそも、万博とは?
- 万博の拡大と日本の参加―1867年 パリ万博
- 人間の展示!?―1904年 セントルイス万博
- 戦争と万博―1940年 東京万博
- 2つの大阪万博と「中国」―1970年・2025年
- 万博へ行ってみよう!
- 参考資料
そもそも、万博とは?
私たちが「万博」と呼んでいる万国博覧会は、博覧会国際事務局という機関が登録・認定した博覧会を指します。
日本では2005年の愛・地球博以来20年ぶり、大阪では1970年以来55年ぶり2度目の開催です(園芸をテーマにした1990年の国際博覧会を入れると3度目)。

今回の大阪・関西万博では、人類共通の課題解決に向けて新たなアイデアを交換・発信することが目指され、人々や文化の交流がうたわれています。

それでは、ここからは過去の万博について見ていきましょう。
万博の拡大と日本の参加―1867年 パリ万博
世界初の万博は1851年にロンドンで開催され、成功をおさめました。
イギリスに負けじと、フランスも万博を積極的に開催するようになります。
ここでは1867年のパリ万博を取り上げてみましょう。

楕円型のメインパビリオンには世界各国の製品が展示されました。
注目したいのが国ごとの展示面積。開催国フランスが最も大きいですが、その他の参加国の面積がバラバラなんです。

イギリスが2番目に大きいですね。プロイセンやオーストリアが続き、アメリカやロシアがそれより小さく、オスマン帝国・日本・エジプトなどはさらに狭いスペースです。
この面積は、当時の世界の構造とそのまま重なります。

19世紀の世界はイギリスやフランスが圧倒的な経済力を持ち、その下に他の欧米諸国が並び、アジアやアフリカは従属を強いられる構造でした。
これは「近代世界システム」と呼ばれています。
この時代の万博は、ヨーロッパ諸国が最新の製品や技術を展示し、自国の発展をアピールする場所として機能していました。
日本はこの時に万博初参加を果たしました。

中央にかかっているのは「丸に十字」、島津家の家紋。そう、これは薩摩藩の展示館です。
パリ万博には薩摩藩と肥前(佐賀)藩、そして江戸幕府がそれぞれ独自に参加していたのです。薩摩藩は「薩摩琉球国」を名乗り、幕府とは別の独立国のように振る舞いました。
なぜこんなことが起こったのでしょうか?その理由は、万博が開かれた「1867年」に注目すると見えてきます。
この時日本は幕末まっただ中!幕府の力が弱まり、各地の藩による倒幕の動きも進んでいました(この年の秋には大政奉還が行われます)。

こうした構図が万博にも持ち込まれたと言えます。
万博は世界的な強弱の関係や勢力争いが目に見えて現れる場所でもありました。
人間の展示!?―1904年 セントルイス万博
19世紀後半から20世紀にかけて、万博では新たな試みが始まります。
それは、「人間の展示」です。
1904年にアメリカのセントルイスで開かれた万博の様子を見てみましょう。

①のエリアでは、動物ショーや戦争の再現、歌舞伎の上演などに交じって、アジアやアフリカ先住民の観覧エリアが設けられました。
②は「フィリピン村」です。会場奥の広大な土地で、フィリピンにいた40の部族・1200人が生活しました。

普段目にできない存在に触れられるということで、この万博の目玉になりました。
③のパビリオンでは人類学部門の企画として、世界各地の先住民が展示されました。
アイヌの人々も日本から動員されました。故郷と同じ住居を自分たちで作って暮らしたそうです。

どれも今の私たちからすると、一発アウトの人種差別ですよね。
なぜこうした展示が行われたのか?そのカギは、当時広まった理論にあります。
ヨーロッパの進歩的諸民族と非進歩的諸民族との間にすでに見られる差異は、ヨーロッパの進歩的諸民族と非ヨーロッパ諸民族とを比較した場合にいっそう顕著である。
歴史学研究会編『世界史史料6』岩波書店、2007年
これはベンジャミン・キッドという学者の文章です。この時代、ダーウィンの進化論を人間社会に応用する社会進化論が唱えられました。
その中で、「文明化した者」と「未開の者」を区別し差別する思想が広がりました。
さらにこの思想は、植民地を広げる帝国主義の正当化にも使われました。植民地化は、「遅れた」地の人々に文明をもたらすと考えられたのです。
こうして、世界各地は欧米諸国の植民地として組み込まれていきました。

アメリカは1898年にフィリピンを獲得していました。
この6年後に開かれたセントルイス万博でフィリピン村が設けられたのは、「文明化していないフィリピンの人々を従わせた」というアピールの意味合いもあったわけです。
20世紀前後の万博には、「文明」「未開」という視点で勢力を広げる、帝国主義の時代の空気感が広がっていました。
戦争と万博―1940年 東京万博
タイトルを見て、「東京万博なんてあった?」と思うかもしれません。

看板を読むと、たしかに東京で万博が開かれる予定だったことが分かりますね。
日本では1940年の万博開催が決まり、東京(晴海・豊洲)と横浜を会場として、インフラ整備やポスター作成、入場券販売といった準備が進められました。

正式名称は「紀元二千六百年記念 日本万国博覧会」。
当時の日本で用いられていた、神武天皇即位からの年数(皇紀)として大きな節目の年に、オリンピックと同時に開催される予定でした。
ファシズムが世界中で台頭していたこの時期、万博は自国の優位性を国内外に示すための場所として、オリンピックとともに利用されたと言えます。
しかし1937年に日中戦争が始まると、軍事費が財政を圧迫してイベントどころではなくなっていきます。

その結果、1938年に万博の延期とオリンピックの開催返上が決まります。事実上の中止でした。
国際的に孤立した日本を象徴する出来事のように感じますが、同時期に世界で開かれた万博を見ると、別の姿も浮かびます。
皆さん一度はこの絵を見たことがあるかと思います。
ドイツ軍によるスペインの空爆に衝撃を受けたピカソが描いた作品で、1937年のパリ万博で展示されました。
このパリ万博に、日本はドイツやソ連、イギリスなどとともに参加していました。さらに1939〜40年のニューヨーク万博にも参加していたのです。
戦争の時代の万博は、対立している国同士が顔を合わせる場でもありました。
ちなみに、中止になった東京万博には後日談があります。
なんと、前売り券が戦後に開催された万博の入場券として活用されたのです!
1970年の大阪万博では3077枚、2005年の愛・地球博では96枚が使われました。
85年が経ちましたが、現在開催中の大阪・関西万博でも使えるようです。
紀元2600年記念日本万国博覧会回数入場券について | EXPO 2025 大阪・関西万博公式Webサイト
2つの大阪万博と「中国」―1970年・2025年
最後は、大阪で開かれた万博をめぐる内容です。
まず、現在開催中の大阪・関西万博の話題から。

これはTECH WORLD(テックワールド)というパビリオンです。
地域名が出ていたように、ここは実質的な台湾パビリオンです。
パビリオン名の頭文字「TW」は、台湾の国名コード(日本ならJP)と一致します。
しかし、「台湾(中華民国)館」とは名乗っていません。
一方、1970年の大阪万博では…
堂々と中華民国を名乗っています。

なぜ2つの大阪万博で対応が違うのでしょうか?中国の歴史から考えてみましょう。
第二次世界大戦後、アメリカ中心の西側陣営とソ連中心の東側陣営が対立しました。「冷戦」です。

中国では国民党と共産党が戦います。共産党は中華人民共和国を建国して東側陣営に属し、国民党の中華民国政府は台湾に逃れ、西側陣営に属しました。
西側陣営の日本にとっては、中華民国=台湾こそが「中国」でした。1970年の万博への台湾の参加は、当然と言えますね。
しかし、時間が経つと状況が変わります。この声明を読んでみましょう。

中華人民共和国こそ「中国」だと述べ、台湾と断交しています。外交方針の大転換です。
声明の調印は1972年9月29日。
つまり、2つの万博は日中共同声明の前と後に分けられるのです!
声明が出されて台湾との関係が変わったからこそ、1970年の万博と異なり、現在の万博では「台湾館」と名乗れないと言えます。
2つの大阪万博から、日本による「中国」のとらえ方の変化が読み取れました。
万博には、いつの時代も国同士の立場や関係性が見え隠れしているのですね。
万博へ行ってみよう!
19世紀から現在までの万博を紹介しながら、それぞれの時代の様子を探ってきました。
万博には、その時代の世界や社会の特徴が詰まっていましたね。
「今」を直接体感できる場所として、万博は情報が簡単に手に入る現代においても一つの役割を担っているのではないでしょうか。
今回は歴史がテーマでしたが、皆さんの興味ある視点から見てみると、全く異なる万博の姿が見つかるかもしれません。
今年しか、今しかできない体験をするために、万博へ行ってみるのはいかがでしょうか?
参考資料
・ジュニアEXPO2025 学習読本:万博の歴史やSDGsについて学べます
↓小学生版はこちら
https://www.expo2025.or.jp/wp/wp-content/themes/expo2025orjp_2022/assets/pdf/education/1_lower.pdf
↓中学生版はこちら
https://www.expo2025.or.jp/wp/wp-content/themes/expo2025orjp_2022/assets/pdf/education/2_middle.pdf
・日本館HISTORY:歴代の日本館の展示を写真で紹介しています
https://2025-japan-pavilion.go.jp/article/history_first-part/
・海野弘『万国博覧会の二十世紀』平凡社新書、2013年
・吉見俊哉『博覧会の政治学』講談社学術文庫、2010年(原著1992年)
:万博のパビリオンや時代背景、その時代の「まなざし」を解説しています