新型コロナウイルスワクチンの登場
新型コロナウイルスの世界的な感染拡大から1年ほどが経過したころに,急ピッチで開発が進められたワクチンがついに認可された。そして2021年6月現在,世界各国でワクチン接種が進められている。従来のワクチン開発は10年以上かかると言われていたことから考えると,この約1年での新型コロナウイルスワクチンの開発スピードは,圧倒的に早い。
本記事では,従来型のワクチンの解説を踏まえて,新しい手法で開発されたワクチン=mRNAワクチンについて,高校生物のレベルで理解できるように書いてみた。その前編である。
以下より解説していく。
高校の教科書におけるワクチン
はじめに,高校生物の教科書でのワクチンに関する記載を確認しよう。
無毒化(日本脳炎やインフルエンザ)、弱毒化(はしかや結核)した病原体や毒素をワクチンと呼ぶ。ワクチンを接種して記憶細胞を形成させ、病気の予防に役立てる。ワクチンを接種することを予防接種という。獲得免疫の二次応答を利用している。
出典:『セミナー生物基礎(2021年度版)』(第一学習社 2021),p.68
要するに,従来のワクチンは「病原体そのもの」がもとになっている,といえる(毒素は「病原体そのもの」ではないが,話を簡単にするために一旦忘れよう)。ワクチンを接種するということは,「病原体そのもの」を体内に侵入させるということだ。根本は18世紀に発明された人類最初のワクチンと変わっていない。
病原体が体内に侵入すると,病原体を体内から排除するため免疫が始動する。さらに,侵入した病原体の情報が免疫に記憶される。ワクチンとして接種した病原体と同種のものが再び体内に侵入した際には,記憶された病原体の情報にもとづいて,素早く病原体が排除される。これがワクチンの効果ということになる。
従来のワクチンも,これから解説する新型のワクチンも,ウイルスを免疫に記憶させて感染症を予防するというしくみ自体は基本的に同じだ。では,なにが違うのか。
最も大きな違いは,ワクチンの由来そのものにある。
mRNA(メッセンジャーRNA)ワクチン
さて,上記記事のタイトルにあるように,新型のワクチンはmRNA(メッセンジャーRNA)ワクチンとも呼ばれている。その名の通り,mRNA※をワクチンとして利用している点が従来型と異なる点だ。
※高校生物でも履修するが,mRNAの基本的な知識については次項で解説を行う。
当たり前だが,mRNAは「病原体そのもの」とは全く異なるものだ。そんなmRNAが,どのようにしてワクチンとして働くのだろうか?
おおよその流れは次のようなものだ。
- ワクチンとなるmRNAの準備
- mRNAのヒト細胞への導入,ヒト細胞内でのウイルスのタンパク質の合成
- ウイルスのタンパク質の細胞外への提示(抗原提示),リンパ球による認識
- 記憶細胞の形成,二次応答による病原体の排除
順に解説していこう。前編となる本記事では2番まで解説している。
ワクチンとなるmRNAの準備
どんなmRNAでもワクチンになるわけではない。たとえば,米・モデルナ社製のmRNAワクチンには,新型コロナウイルスの表面に存在するタンパク質(スパイクタンパク質)の情報をもったmRNAが利用されたという記事を見つけた。
つまり「病原体そのもの」ではなく,「病原体そのもの」を構成する部品をワクチンにしたということが理解いただけただろうか。
ここにワクチンを開発・製造期間を短縮できたポイントがある。
従来型ワクチンの開発と製造
従来型ワクチンは開発にあたり,弱毒/無毒化や,安全性の確認など,時間が途方もなくかかる。これが,前述の10年かかってもおかしくない理由だ。
また,完成したと思ったら,ワクチンを製造するにあたって,その病原体を培養する必要がある。これも結構大変だ。
インフルエンザワクチンの製造のためには膨大な数の[引用者注:ニワトリの]受精卵が必要となる。一般の食料品としての卵と違い,特別な施設の中でワクチン製造のためだけに飼育された鶏が生んだ卵を使うので,卵 1 個あたりの単価は高くつく。特別な施設が必要で, しかも本来廃棄している雄鶏も飼育せねばならず, 養鶏業者には大きな負担となる。
出典:阪大微生物病研究所 インフルエンザワクチンの製造と課題,p.15
基本的なことだが,ウイルスは単独では増殖できない。ウイルスを培養するには,宿主となる生物(の細胞)が別途必要になる。従来型のワクチンを作るには,宿主を飼育・培養する必要があり,上記引用にもあるように,それなりのコストがかかる。
mRNAワクチンの開発と製造
一方,mRNAワクチンはどうか。
まず開発では,近年のコンピュータの進歩により,とても早く行えるようになったゲノム解析が,ワクチン開発速度の向上に一役買っている。
下記のリンクは公開されている新型コロナウイルスのゲノム情報であるが,こういった情報は感染拡大初期より世界中の研究機関で共有されている。
そうした情報をもとに,スパイクタンパク質の情報をもったmRNAを合成し,ワクチンとして利用することができる。
次に製造。現代の技術では,mRNAを試験管内で大量生産することが可能である。従来型ワクチンのように宿主を飼育・培養する必要がないため,効率よくmRNAを用意して,ワクチンを製造できる。この点をおさえて次に進もう。
mRNAワクチンのヒト細胞への導入,ヒト細胞内でのウイルスタンパク質の合成
はじめに,遺伝子の発現※について確認しておこう。
DNAの塩基配列にもとづいてRNAが合成されたり,タンパク質が合成されたりすることを,遺伝子の発現という。
出典:『セミナー生物基礎(2021年度版)』(第一学習社 2021),p.32
生命活動において主要な役割を果たしているのはタンパク質だ。mRNAがワクチンとして機能する際にも,最終的にはmRNAをもとに,細胞内でウイルスのタンパク質が合成される必要がある。そのためには,まず,mRNAワクチンを細胞の中に送り込む(=導入する)必要がある。翻訳は細胞内で行われる※ためだ。
この「遺伝子の発現」における転写や翻訳について,生物基礎レベルでもう少し詳細に確認したい場合は,教科書や下記URLなどから読むと良い。
なお,mRNAワクチンは筋肉細胞や樹状細胞などに導入されるらしい。
mRNAワクチンは,脂質からなる袋(=脂質ナノ粒子)に入れて細胞に導入する。これは,不安定な物質であるmRNAを細胞に導入する効率を高めるため※だ(上記リンク先PDF『COVID-19ワクチンに関する提言(第2版)』のp.2~3を参照)。
※mRNAが不安定な物質であるがゆえ,超低温での保管が必要であるなど,mRNAワクチンも管理が非常に難しい。現在,日本国内では効率的な管理と接種が課題となっている。
脂質ナノ粒子に守られて,細胞にmRNAワクチンが導入されると,実際にウイルスに感染したときと同じように,細胞内でウイルスのタンパク質が合成される。この体内で合成されたウイルスのタンパク質が,免疫獲得の鍵となる。
まとめ
前編である本記事では,既存のワクチンがどのようなものであったかということを確認しつつ,新型コロナ禍で実用化されたmRNAワクチンについて書きました。
後編では,
3.ウイルスのタンパク質の細胞外への提示(抗原提示),リンパ球による認識
4.記憶細胞の形成,二次応答による病原体の排除
の解説をしていきます。乞うご期待!
2021-06-25, 後編公開されました!
参考リンク
本記事の記述は下記American Chemical Societyのリンクを主に参考にした。
本記事より記述が少し難しいが,合わせて目を通して頂けると理解が深まるのではないかと思う。
また,余談ではあるが,この迅速なワクチン開発の裏には色々な人間ドラマがあった。mRNAワクチン発明から実用化に至るまでの,ある研究者の話だ。興味がある方は以下など参照するとよいだろう。ワクチンの仕組みについても触れてある。